ある日のことです。
私はいつものように、首都圏沿線の私鉄で、出勤の途にありました。
朝の7時台は、通勤ラッシュというほどではないものの体がふれあう程度には、充分混んでいます。
皆さんも同様かと思いますが、大体同じ時間に、同じ場所近くに乗り、同じ行動をとります。
私もいつもと同じく同じように吊革につかまり本を読んでいました。
私の隣には、若い女性がそれらしく、携帯電話を操作しています。
肩には、ショルダーバッグをかけ、まあ、何の変哲もない日常の風景です。
私と女性の前は、3人掛けの座席で、中央に若い女性、両端に男性が座っています。
皆さん、朝寝を楽しみ、舟を漕いでいました。
事件というか、ホントにささいな出来事は、電車の予期しない揺れで起こりました。
まあ、立っていた人は、ちょっとした衝撃に、思わず吊皮を持つ手に力が入った程度の揺れです。
私の隣の携帯操作中の女性も、体が、小さく揺れて、その拍子に肩に掛けたバッグが
目の前の女性にかなりの勢いで、当たりました。
「あっ、ごめんなさい・・・・・。」という声で、何事も無く済むはずのことだったのですが、
携帯女性は、周りの誰もが期待したそのひとことを発せずに、携帯の操作を続けたのです。
周囲の誰もが、携帯を操作する女性を見守りました。
バッグを当てられた女性も、前に立っている女性をにらみつけています。
知ってか知らずか、(というより知らないはずのない)携帯操作女は、
依然、われ関せずという態度で、携帯に熱中状態です。
ちょっとした緊迫状態の中、
当てられた女性が、ふーっと小さくため息をつくと怒りを抑えたようでした。
きっと、(朝から事を起こすのは大人げない。我慢だぜい!)
と、思ったのでしょう。
しかし、よくある光景ですが、
どうして、「ごめんなさい。」のひとことが言えないのでしょうか?
疑問でなりません。
”ゆとり教育”とやらが、こんな個性のある人間を造り出したのでしょうか?
(こういう方と一緒の電車には乗りたくない。)
そう思い、翌日から一本早い電車に乗るようにしました。 (ここまで)
追)きっと、タイミングを逃してしまい、にっちもさっちもいかなくなったのでしょうね。
一言発しろよ!嫌でも押せ!
原竜也の今月(2009年2月)、お勧めのこの本・・・・「神の狩人」



